シャネル・プラダ |
![]() |
スポンサードリンク |
シャネル&プラダの歴史 |
ここではシャネルとプラダについての紹介です。 2つのブランドを1つのページで紹介していますがシャネルとプラダの特別な繋がりは関係ありません。 −シャネル− シャネルはココ・シャネルが興したファッション・ブランドです。 シャネルの現デザイナーのカール・ラガーフュルドは ファッションデザイナーの他に、写真家としても有名です。 1910年から帽子店から始まりました。 名前のココは愛称で、本名はガブリエル・シャネルといいます。 シャネルは「古い価値観にとらわれない女性像」をポリシーとして、 女性達に常に新しいスタイルを提案していき、大成功を収めます。 ジャージ素材で作ったシュミーズドレスは戦争を避け疎開していたセレブ婦人達から人気を集めました。 また「黒」という色は喪に服す時だけ着る色でしたがリトル・ブラック・ドレスという黒の衣装や、 他にも男性用の衣装を女性向けにアレンジして発表するなど、話題を提供してきました。 ちなみに女性がパンツを履くというスタイルも、実はシャネルが広げたものです。 さらに香水やアクセサリーにも、ブランドとして確立していきましたが 第二次世界大戦によりいくつかの店を閉めざるを得なくなってしまいます。 更にドイツ人との愛人問題で、スイスに亡命を余儀なくされます。 そして10年後に店を再開して、オートクチュール・コレクションも復活させました。 ココ・シャネルには「宝石は宝石商が作るもの」というポリシーがあり、 近年まで同社では貴石使用したジュエリーは制作しないという方針を採っていました。 しかし90年代後半の今までのイミテーションジュエリーではなく ファインジュエリーの販売も開始しました。 ココ・シャネルは1971年にホテル・リッツで没しましたが シャネルの意思を引き継いだカール・ラガーフィルドがプラダポルテ・ジュリー、化粧品、香水など 時代の空気も取り入れたアイテムを展開してブランドを現在にも伝えています。 ココ・シャネルの生まれはフランス南西部のオーベルニュ地方です。 12歳の誕生日を迎える前に、母親が他界してしまい、独児院や修道院で育ちます。 そしてお針子として独児院を出た後、歌手を目指してキャバレーで歌っていました。 そこで歌っていたコ・コ・リ・コとキ・カ・ヴェ・ココという歌の題名から、ココという愛称が付きました。 その後シャネルはパリへ移り、奇抜な衣裳で社交界に潜り込んで その美貌を生かし裕福な有名人と親交を広げました。 デザイナーとして成功して、有名なシャネル・スーツを発表するなど 1930年代後半にはモード界の中枢に躍り出ます。 −プラダ− プラダは、ファッションブランドの1つであり また複数のデザイナーズブランドを率いるイタリアの企業グループです。 現デザイナーはミウチャ・プラダ。 1950年、イタリアのミラノで生まれました。 可愛らしいポッチャリ系の、感じのいい女性です。 ミラノ大学では、社会学を専攻して、博士号を受けます。 「日常を贅沢に飾る」をコンセプトとして、現代的で革新的な素材使いや デザインの斬新さと、伝統や歴史などの過去との見事な調和で世界的なブームを引き起こします。 女性の内側を表現できるデザイナーとしては一番と評価されました。 プラダの始まりは1913年です。 マリオ・プラダがミラノに皮革製品店を開業します。 ブルジョアの間で評判になり、イタリア王室の御用達ブランドとなりました。 マリオが亡くなった後、孫娘であるミウッチャ・プラダがオーナー兼デザイナーに就任しました。 ポコノという軽くて強い工業用防水生地のナイロン素材のバッグを発表します。 特に若い女性の人気となります。 現在のプラダグループの総帥は デザイナーであるミウッチャ・プラダの夫、パトリッツィオ・ベルテッリです。 パトリッツィオが中心となり、アメリカスカップに挑戦を行っています。 本線では惨敗していましたが、ルイ・ヴィトンカップは勝ち取っています。 洗練されたライン、上質且つ的確な素材選び、徹底したミニマリズムから スポーツ、ミックスまで最新鋭の技術を持っています。 ナイロン素材が定番となっていますが、キャンバス地などの素材も使用しています。 日本では、このナイロン財布やバッグが大人気です。 プラダだけでも、何個も持っている人もいるそうです。 姉妹ブランドは、1993年にプラダが発表したミュウミュウです。 ブランド名でもあるミュウミュウはミュウチャの少年時代からのニックネームから付けられた名前です。 |
|
|
| Copyright(C) -F&B cultivate- All Rights Reserved. |